PTAで学んだこと
ある校長先生のPTA総会での言葉です。
PTAの役員決めをしていても、なかなか決まらない。
みんな下を向いて、はやく誰か、やってくれないかって思っている、そんな時のある校長先生の言葉です。
『お母さん方、今の姿をご自分のお子さんに見せられますか?
嫌なこと、大変そうな事には関わるな。
お子さんには、そう育ってほしいのですか?』
余計なことはやってられない
自分が初めて「親」になって、「親」としての学びがはじまったころ、自分が親であることや、今後PTAとして地域貢献していこう。
なんて、そんな意識はいっさいありませんでした。
むしろ、余計やことはやってられない。
という意識でした。
長女が公園デビューをした頃から、他の「親」とのかかわりが増え、幼稚園に入園して、はじめての「PTA」活動が始まりました。
当初は、自分の子供の面倒をみるだけで手一杯です。
仕事もあるし、生活だってあるし、余計な「PTA」活動なんてやってる暇はないと。いう考えでした。
子供のいい思い出のために、多少であれば、できる範囲の手伝いはするけど、余計な手間は増やさないように、あんまり関わらないように、目立たないように。
余計なことはやってられない。
そんなふうに思っていました。
人のため
幼稚園から小学校と活動をしていくうちに、自分のこどもだけでなく、よその子供たちがうれしそうにしている様子や、先生や他の親の方たちに感謝されたり、よろこんでいたりということに、自分も喜びを感じていることに気づいていきました。
当時は「人のため」などとは思っていませんでした。
ですが、よろこぶ姿はうれしいもので、自分の満足感も満たされ、活動することが苦にならないどころか、自発的に手伝おうという気持ちがどんどん高まり、徐々に活動は、町会の地域活動や学童保育の手伝いなどと広がってゆきました。
今思うと、これがいまの「人のため」という意識のベースになっているように思います。
人を受け入れる
「PTA」という組織は、偶然にあつまった、趣味や嗜好、経験や考え方が様々な人々の集まりです。
しかも、報酬などもない任意の組織でありながら、協力しながら同じ目標をめざす団体です。
ひとつのことに対しても、様々な考えをもった人がいますので、同じ目標でもアプローチや行動も様々です。
自分の考えや指針だけを押し通すほどに組織はくずれていってしまいます。
違うと思う相手の考え方も、お互いがお互いを受入れあって、同じ目標を目指すという意識がとても大切になります。
押し通す傲慢さは、相手を思いやる気持ちを持って、相手を受け入れることにより、それは自信と謙虚に変化します。
そしていい結果につながったりします。
人を受け入れるには、自分に自信がないとできません。
あなたが嫌いだと思っている相手は、相手もあなたを嫌いになります。
あなたが苦手だと思っている相手は、相手もあなたを苦手に感じます。
相手を受け入れることによって、相手もあなたを受け入れてくれるのです。
そういう意識を育ててくれたと感じています。
PTAで学んだこと
人のため
「なにかをやってあげる」のが人のためでなく、本当は、相手ができるようにしてあげることがその人のためだったり。
「情けは人の為ならず」
人のためが、めぐりめぐって自分のためになってるんだなと。
人を受け入れる
人の思いはひとそれぞれ。
自分がよかれと思ったことが、その人にもいいとは限らない。
だけど、その人が気がついていないこともあるので、いったんは受け入れて、その人自身がいいと思えるように目線をかえてあげると、自分の行先もいまのままとは違うことが見えてくる。
めんどくさいPTA活動なんか、わざわざやるやつは馬鹿か暇人!!!あなたはそう思いますか?
自分で自分に蓋をして、楽な方にむかうほうが歩きやすいですが、それ以外の道に、いまの自分には気づけないなにかがあるのかもしれません。
それらは、PTAだけではなく、きっといろんな事からも学べるのかもしれませんね。
嫌なこと、大変そうな事には関わるな。
あなた自信、そう歩いていきたいですか?
コメントを書く